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「――それだけでも、利口者の莫迦ばかを証するには充分だが、日向守一箇についていえば、もっともっと彼の愚は大きくなる。それは、もう彼もずいぶん功を立てたろうが、主家の恩寵おんちょうは眷族けんぞくにおよび、丹波、近江にかけて、六十万石に封ぜられ、酬むくわるるに何の不足もない。しかも自分の心ひとつで、まちがえば一瞬のまに、わが身のみか、眷族けんぞくの妻子老幼から、家中の将士の家族までを、いかなる運命に投げこむか……それを思えば、いかなる堪忍とてもできぬことはない。大家族の家長としてもじゃ。何も知らぬ末々の者や女おんな子こどものために、世に対してはつらい涙ものんで、しかも大船に乗せたここちの安心を与えておくのが、家の主あるじではないか。――そもそも主人の統業にたいし、その情熱に与くみして来ながら、おりおり批判的な眼で主人を見たりなどしていたことが怪けしからぬ。あれやこれ、いえばまあ限りもないが、要するに、日向守の逆事は、知性に疲れた智者の破綻はたんじゃ。それと、五十五の坂にかかった人間の生理的な焦躁とか、我慢のおとろえとか、脾ひ、肝かん、心しん、腎じん、肺はいの五臓の衰気も多分に手伝うていることは疑いもない。――もし彼が老いてもいよいよ健康であるか、或いは、もう十歳も若かったら、決してこんなばかをやって、天下を騒がすことはしまい」
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